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2020-01-08

2019年の振り返りと新年のご挨拶

年末年始に一年の総括と新年の抱負を綴っておこうと思いつつも気付けば1週間以上経ってしまいました。遅ればせではありますがここに新年のご挨拶も兼ねて今の私の頭の中を書き記しておこうと思います。

新年あけましておめでとうございます。

皆さまにとって2019年はどんな一年だったでしょうか?

私個人としては、昨年は、仕事と、そしてプライベートでも様々な出逢いに恵まれた一年でした。外にも、そして内にも自分の世界が広がっていくことを感じる事ができた豊かな一年だったかなぁと振り返っております。

ただ、その一方で思い惑う事の多い一年でもありました。

一昨年の2018年に独立開業してから一年が経ち、仕事の方もそれなりに落ち着いてきた中で迎えた2019年。そろそろ地に足がつく頃かなと思っていたらなかなか両足が着地しない。生活は安定してきた一方で、私自身の心はどこか寄る辺を求めておりました。

自分自身の人生を歩んでいるんだという確かな実感はある。ただその一方、絶えず変化し続ける周囲の環境の中でどこか自分が薄まっていくような感覚があったのです。

テクノロジーの変化に目を向ければ、スマートフォンが普及してからまだ僅か10年弱。その間に人間としての振る舞いはテクノロジーを前提として大きく変化しました。様々な判断の前提に自動化技術や通信への接続があるという事実を意識する事すらないままに、私たちは何気ない日常を過ごしております。

自然環境も大きく変化し、去年の一年間に起きたことを振り返ればもはや自然は共生するというより乗り越えるものと定義した方がしっくり来ます。四季折々の風光明媚が年々失われていくのは非常に残念なことです。

私たち人間と自然環境との向き合い方すら変わりつつある。そんな時々刻々と変化する環境の中で、自分自身のあり方やふるまい自体も無自覚に規定されているのではないだろうか。

不易流行。変化の中で人間の中にあって本質的に変わらないものとはいったい何なんだろう。

私自身の人生について考えてみるなら、変化し続ける環境の中で何を受容し、どんな自分を残していけばいいのだろうか。

そんなことを思い惑う中で、私の中にひとつの人生に向き合う姿勢のようなものが浮かび上がってきました。

人生は波乗りみたいなものだと考えればスッキリする。

様々な変化という波が向かってくる中で、それにあがなうのではなく上手に乗っていく。そんな感覚で過ごしていけばいいんじゃないかな。でも波に乗っていくのと波に流されるのとでは意味が違ってくる。人生という波乗りを上手く楽しむためにはどんな心がけが必要なんだろう?

そんなことを考えていたら、2020年を迎えるにあたってのぼんやりとした指針が見えてきました。

それをざっくり私なりの言葉で表現しますと

  • 意味なくし
  • Don’t think. Feel!
  • 小さな社会

この3つです。

意味なくし

私自身の去年の一年を振り返ってみますと、どうやらモノコトに対して意味を求めて続けていた気配があります。トレーナーとしての自分自身の価値を高めよう、その為に意味のある学びをしよう、社会的にも価値のあることをしよう、と。

書籍を選ぶにしても、単に知的興味をそそられるもののみではなく、いかにも社会や人生にとって意味がありげなものを選んでみたり。

それ自体は何ら悪い事ではないのでしょうが、意味のあることばかりを求めて少し頭でっかちになっていたのかもしれません。

今になって振り返ると、自分の小さな頭で意味や価値を選別していたことが、かえって自分自身の認知の枠を狭めてしまっていたような気がしてなりません。

かつて思想家のマイケル・ポランニーは、自分の限られた頭の中で認知している世界の外側に広がる世界のことを暗黙知の次元と称しました。

暗黙知の次元に自分を開いていくことこそ人生の豊かさを享受する上で大切なのかもしれない。モノコトそしてヒトに意味付けしているその表層を一枚ずつ剥ぎ取っていったその先に、自分がより豊かな生を享受するために必要な「なにか」が見えてくる気がする。

なんてことを考えている今この瞬間にも、さっそく自分自身の今年の振る舞いに対して意味を求めてしまっている頭でっかちな自分がいます(笑)

Don’t think. Feel!

ですからもうひとつ、Don’t think. Feel!

「考えるよりも感じろ」とは言わずと知れたブルース・リーの名句です。

私たちの持つこのカラダは、頭で考えて決めたことを動作として出力するインターフェースとしての役割を持つ一方で、ただ無為自然にあるがままを感じるためのカラダでもあります。

ところが私事として考えてみますと、歳を重ねるごとにカラダで感じる以上に頭で考えることが明らかに増えました。論理や理屈でものごとを捉えようとする反面、自分のカラダに備わった感覚センサーの感度は徐々に低下してきているという自覚はあります。

幼い頃は理屈では説明できない喜怒哀楽などの様々な情緒をこのカラダは知っていたはずだ。でもいつのまにかそれも少なくなってきている気がする。感覚の世界が広がればより豊かな刺激に溢れた日常を過ごせるんじゃないだろうか。

現代はこころの時代と言われ、どの書店にも心との向き合い方について書かれた本がたくさん並んでおります。ですが人生を楽しく豊かに生きるための秘訣というのは案外カラダの持つ感覚の世界に隠されているんじゃなかろうか。最近はそんなふうに思っております。

今年は去年以上にカラダで感じる「楽しい」をもっとたくさん見つけていけたら良いなぁ。そのためにも自分の中にある純粋な動機と好奇心を大切にしていきたいものですね。

小さな社会

そして最後に小さな社会。

去年は社会そのものをテーマに据えたフォーラムに参加する機会が多くありました。テクノロジーの発展と共に目まぐるしく変化する社会の中でこれからの私たちの生活はどうなっていくのだろうか?そんなことを考えながら一年を過ごしていました。

でもそうやって考えていくと、論ずる主体である社会というものには実体がなく、それ故に思考が行き詰ってしまう。社会という主語には表情もなければ温度もありません。

そんなことを考え煮詰まっていた時、ふとディズニーの「It’s a small world(小さな世界)」の一節が頭の中に浮かびました。有名な曲なのでみなさん一度は聞いたことがあるかと思います。

歌詞の一部を抜粋しますと…

世界中 だれだって ほほえめば なかよしさ
みんな 輪になり 手をつなごう 小さな世界

今の時代、社会の規模を広げようとすれば地球の裏側までつながることができます。でも現実に生きている世界は意外と小さいのかもしれない。ほほえむ表情やつないだ手の温度感がなんとなく想像できるくらいの規模感を自分の社会だと捉えるとなんだか色んなことがしっくりくる。

考えてみれば、私がトレーナーという仕事を通じて毎週コンスタントに顔を合わせている方の数はせいぜい30人程度。そこに家族や近隣の方々を加えても40人はいかないくらいです。それくらいの人数規模が自分にとっての幸せの最大公約数なのかもしれません。

大きな社会のスケールは持っておきつつも、まずは目の前にある半径1mくらいの身近な社会での幸せを追求していくことから始めてみることにしよう。そうしよう。

「修身斉家治国平天下」とは儒教の基本的な教えの一つですが、今から実に2500年以上も前の時代を生きた諸先輩方も同じことを思っていたのかもしれないと思うと、人間の思想の根本ってあんまり変わっていないのかもしれませんね。

 

 

 

なんだか着地を決めずに書き始めたら終わらなくなってしまいそうなので、これにて締めくくりに。

考えてみれば、こうして節目を設けて考えるのも人間らしい営みなのかもしれません。

一年の区切りなんてものは人間の決めごとであって、昆虫や植物、動物の世界にはそんなものはありませんから(笑)

また来年の今頃は、いったいどのように一年を振り返っているのでしょう。

そんなことより怪我や病気をせず心身ともに健康な状態で一年を過ごすことが大切ですね。

それでは、皆さまにとっても素敵な一年でありますよう。

新年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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