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2020-05-06

コロナ禍に引きこもってみて感じた「人間らしさ」の意味

中国の武漢市から始まったコロナウイルスの感染は世界各地へと拡大し、現在日本でも活動や外出の自粛を余儀なくされております。

その様な中でご多分に漏れず、私も自営のパーソナルジムを休業して数週間の引きこもり生活を送っておりました。

数週間に渡り外との接触は買い物などの必要最低限に留めて自宅にこもって過ごす日々。これまでの私の人生にとってはあまり無い経験です。

そうして実際に引きこもってみると、徐々に得も言えない閉塞感を感じるようになり、それと同時に「私」が「私」として生きているという確証が少しづつ失われていくような感覚がありました。

摩擦と「私」

その正体はなんだと考えてみた時に、これまで送ってきた生活との差異としてはっきりと感じたことが一つあります。

それは”日常に摩擦がない”ということです。摩擦をノイズや不協和音と言い換えてもいいかもしれません。

摩擦。性格が合うとか合わないとか、意見の対立とか、そういった人間関係において生じる摩擦。その中には大きな摩擦もあれば小さな摩擦もある。ジュッと焦げるような摩擦もあればガリガリ削り削られる摩擦、シューッと擦れるような摩擦やヒリヒリするような摩擦。

私と他人と社会と自然、その境界で生じる様々な摩擦。

何気ない生活の中で生じる摩擦こそが、案外「私」が「私」として生きていることの実感を深めてくれていたのかもしれない。考えるうちにそう思うに至りました。

急速に進むWEBコンテンツの普及

一方そのようなコロナ禍の環境下で、ネットを介して外の環境と繋がり合う世界はこれまでよりもグッと身近なものになりました。

認知度を一気に高めたZoomを筆頭に、各種ライブ配信サービスやオンライン上で楽しめる様々なエンターテインメント。私自身も家にいる中で、ネットにつながっている時間はかなり増えた。

WEB上の魅力的なコンテンツにはたくさん楽しませてもらったものの、それと同時にネットの世界に浸かっている時間が長くなると何だか鬱屈としたものやフラストレーションも少しづつ溜まってくる。

それは何故だろうか?ふと考えてみた時に気がついたのが、ネット環境に身を置く際ノイズや不協和音が生じる時にボリュームのツマミを握っているのは常に自分自身だという事実です。

自らが不快に感じるノイズや不協和音は自らの意思でミュートしてしまうことが出来ます。

肥大化する「私」

全ての采配権は自分に帰属する。そのうちに私が私の判断で決定を下しているという感覚は、自己主体感を強化すると共に、きっと気づかぬうちに自身の内側に潜む自己意識も増長させているのでしょう。

私が感じていたフラストレーションは、もしかしたら肥大化した自己にたいする息苦しさなのかもしれないなぁと。

ネットの中にはそうやって膨張した「私」があふれています。

私自身ここ数年の世相にはどこか閉塞感を感じていて、それがこのコロナ禍に来てピークに達した感があるのだけれども、もしかしたらそれは至る所で膨張した「私」という自己意識の充満によるものなのかもしれません。

そう考えてみると、やはりヒトがヒトとして生きていく上では何気ない摩擦に溢れた日常は大切なのだと思います。

本来的にはヒトは社会的な生き物でありますし、太古に遡れば原始生命体が誕生した頃から多様な環境との摩擦のなかで進化してきたというのも一つの事実でありますから。

いったん「私」を手放してみる

そういえばこの休業期間中に”鬼滅の刃”というアニメを見ていたのですが、その中で出てきた「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という台詞が印象的で心に残りました。

ちなみに、この台詞は視聴者の中でも作中屈指の名台詞として支持を集めているようです。

人生の主体性を得るためにそう考えたくなる人間の心理には私も共感できます。この台詞が多くの人の心を打つ背景には、きっと人間のそういった心理が働いているのでしょう。

でも実際に生きる上では、そうやってしがみついている「私」をいったん手放してみるという発想もまた、大切なことなのではないでしょうか。

いったん「私」を手放してみて、その手放した先の様々な環境変化の中で偶発的に生じる摩擦を”生きている証”と感じるくらいの余裕をもってみた方が、人生も生きやすくなって意外と楽で良いのかもしれません。

「私」という存在は自分の中だけに厳然として在るのではなく、あらゆる現象やヒトモノコトとの関係性の境界に浮かび上がってくるものなのですから。

摩擦の中に見出せる「人間らしさ」

私のライフテーマのひとつに「人間らしさの探求」があるのですが、ここにきてその答えを表すパズルのピースが一枚はまったように感じております。

きっと「人間らしさ」とは日常の中に起こる摩擦やノイズの中に見出せるものなのでしょう。

今はまだ大変な状況下ではありますが、そうした中からひとつ人生の気づきを得る事が出来たので、私的には意味のある引きこもり生活を送れたのかもしれません。

とはいえこのような状況は早く終息し、元通りの生活に戻りたいと切に願う次第です。

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